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1970年代の連続企業爆破事件:桐島聡容疑者の発見とその影響

日本

はじめに

1970年代に発生した連続企業爆破事件は、日本の歴史において重要な出来事であり、特に、過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバーである桐島聡容疑者(70)の役割は、この事件を理解する上で重要です。

桐島聡の罪状とは?

爆発物取締罰則違反:桐島容疑者は、1975年4月18日夜、東京都中央区銀座のビル5階に入居していた「韓国産業経済研究所」の入り口ドアに手製爆弾1個を仕掛け、翌19日未明に爆発させたとされています。

この事件は、海外進出企業などが標的にされた連続企業爆破事件の一部で、1974年から1975年にかけて発生しました。特に、1974年8月の三菱重工業ビル(東京)前の爆発では、8人が死亡し、約380人が負傷しました。

桐島聡の時効について

桐島容疑者の時効は、事件を共謀したとして逮捕、起訴された大道寺あや子容疑者が日本航空機をハイジャックした「ダッカ事件」(1977年)で超法規的措置(人質と収監者の交換)により釈放され、国外逃亡したことから停止しています

これにより、桐島容疑者の罪状に対する法的な追及は現在も可能となっています。

桐島聡容疑者の発見

警視庁公安部は、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた桐島聡容疑者とみられる男を発見しました。この男性は現在、末期がんで神奈川県内の病院に入院中で、DNA型鑑定を行い身元の確認を進めています。

桐島聡容疑者の現状

桐島容疑者とみられる男性は、神奈川県鎌倉市内の病院に入院しています。

当初は偽名を名乗っていましたが、病状は深刻で「最期は本名で迎えたい」と2024年1月25日になって病院関係者に「自分は桐島聡」と名乗り出ました。

公安部は25日に県警から連絡を受け、事情聴取を行い、桐島容疑者本人しか知り得ない話があったとの事。

男性は身柄の拘束に耐えられないとみられ、公安部は今後も任意で調べ、桐島容疑者と特定し次第、約49年の逃亡生活の解明を進める予定です。

ネットの反応

おそらく本人で確定なのでしょう、しかし末期ガンを患い重篤な状況、身柄の拘束にも耐えられない、罪の償いも出来ない、今更名乗り出て「最期は本名で迎えたい」とは何とも自分勝手、遺族は何を思うのか。

病院関係者さん、よく桐島聡の名を知ってましたね…わたしだったら名乗りでられても「はぁ?」って言いそうです

看護師全員で、~~さん、なんか変なこと言いだしたよ。ってなっただろうな。自白しなきゃバレなかったってことか。風貌も全然違うんだろうね。

死に間際に「俺も昔ヤンチャしてよ」 の劇場版

警察よく見つけたな~と思っていたら死を悟って自ら自白したのか… 反省はしてるんだろうか。

まとめ

この事件は、日本社会に大きな影響を与え、その後の公安対策にも影響を与えました。桐島聡容疑者の発見は、この歴史的な事件の一部を解明するための重要な一歩となります。

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参考リンク

末期がんで入院の男「自分は桐島聡」「最期は本名で迎えたい」…公安部に本人しか知り得ない話 - ライブドアニュース
神奈川県内の病院に入院中の男が25日、「自分は桐島聡」と名乗り出た。男は末期がんで、「最後は本名で迎えたい」と話しているとのこと。男は身柄の拘束に耐えられないとみられ、公安部は今後も任意で調べるという
桐島聡容疑者か 身柄確保 70年代の連続企業爆破事件で指名手配 | NHK
【NHK】昭和49年から50年にかけて東京で企業が相次いで爆破された事件の容疑者の1人で、指名手配されていた「東アジア反日武装戦線…

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